さざなみ:深い悲しみの底へ。
アコースティックギターの深い調べ。
沈んでゆく空気を表すストローク。
夕日が沈む。
光を踊らせるさざなみが、ゆらゆらと動く。
だんだん去っていくようにも見えるし、少しずつこちらに寄ってきてるような気もする。
二人の間に、大きな偽り、誤解がある。
だまりこむことでしか気持ちを伝えられない。
言葉を発しようとして息を吸い込む。
けれど、
言葉は出てこずに。
冷たい空気だけが胸の中で温まる。
さざなみ:私をあやして
ああ、さざなみ
私をあやして
このフレーズのすごさ。
hold me 私を抱きしめて、でもなく
never let me go 私を離さないで、でもない。
英語のフレーズの和訳を、意味もわからず歌にしてしまうソングライターが多い中、佐藤瑛は「私をあやして」と歌う。
どうにもならなくなった現状を、弁解することもなく。
ただ、夕日に踊るさざなみに「あやしてほしい」と歌う。
あやしてほしいという感情。
悲しみの果てに、ただ静かに眠らせてほしいと思う。
この歌の二人が深い絶望に打たれているのがわかる。
誰もがあやされたことがあるだろうけど、頭で覚えてはないはず。
ただ、その静かな波動は小さな体と心にしっかり残ってる。
そんな感覚を呼び覚ます。
佐藤瑛のソングライターとしての厳しさが表れている。
さざなみ:幾重にも重なったコーラスが美しく悲しい
ギターと声。
もっともベーシックな武器で構築される「さざなみ」
普通に弾き語りをしても、この歌詞なら、充分なさびしさを伝えられるだろうけど。
さらに佐藤瑛は無数のコーラスで「身動き取れなくなっていく感情」を表す。
そこまでしなくてもいいんじゃない?ということやる。
さざなみのように、少しづつ形の違う波が、ゆらゆらと動いてる。
息苦しく。
でも感情に火を灯す。
10ccの「Im not in love」のように。声が空気を染めて。
アルバム「Hikarist」のラストシーンは、ここだ。
ゆったりとしたリズムで、甘く悲しく危険な二人を描いた「溺れるような」で始まった愛の物語。
夕日から夜になり、朝がやってきた二人。
やはり、繰り返す。
波間に沈んでゆく夕日は、100%間違いなく、明日の朝日になる。
そして、
観客の息を吐かせるために、エンドロールが始まる。
「アイスコーヒーはミルク入り」だ。